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1959年に立案されたレンジャー計画は、宇宙塵/微粒子の探知や航行時の放射線(ガンマ線)測定、あるいは惑星間における場の研究などを行うミッションを含んでいたが、その主目的はやはり月面探査(※1)だった。月面に関する高解像度(高分解能)の画像/映像情報を得ることによって、アポロ計画を脇でサポートしたのである。
月面に激突するまでの間に月面の近接写真や映像を得て地球に電送する探査システムは、1961年から1965年までの間に9回のミッション(レンジャー1号〜レンジャー9号)で稼動したが、そのスペースクラフトは全て同一ではなく、3種類のコンフィグレーション (Block I, Block II, Block III) によって区別されている。
レンジャー計画の佳境は Block III の 7号からだろう。 7号、8号は月面の近接撮影に成功し、9号は月面に衝突する寸前までTV映像(信号)を地球に送信していた。
このレンジャー計画の成功によって、その後の無人月面探査計画(サーベイヤ計画、ルナ・オービター計画)にはずみがつき、アポロ計画は加速度的に推進されていく。
----- (※1) レンジャー計画にいう月面探査にはもちろん月面着陸(※2) も含まれる。しかし、レンジャースペースクラフト(宇宙船)の月面着陸は軟着陸(ソフト・ランディング/soft-landing)ではなかった。無人探査機故に許される「激突(impacting the lunar surface)」である。 (※2) レンジャー計画のいくつかのミッションでは、ラフな月面着陸(ラフ・ランディング/rough-landing)も予定されていたが、それはレンジャースペースクラフトが対象ではなく、地震計の入ったカプセルをラフ・ランディングさせようとするものだった。 |