「2001年宇宙の旅」再上映とプール飛行士の来日

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urnball 「2001年宇宙の旅」のリバイバル上映

2001年を迎えた今年 (平成13年) 、あの不滅の名作「2001年宇宙の旅」が再び日本の大スクリーンに戻ってきた。まるで「今年は俺の年だ!」といわんばかりに、4月7日 ※1 より、全国のワーナー・ブラザーズ系劇場 ※2 で一斉リバイバル上映されていたのは記憶に新しい。

今回 (2001年、平成13年) の再上映は、筆者にとって、1978年(昭和53年)に東京は有楽町駅近くのテアトル東京 ※3 で観て以来のご対面となった(83年、85年(2010年との2本立て)、95年の再上映はなぜか観ていない)。当時は数日通って結局十数回観てしまい、ひと月ほど脳天がシビレていた記憶がある。やはり、この映画は「映画館=劇場専用」の作品ではないだろうか。ビデオやDVDでは脳天や感性の奥深いところまで響いてこないのである。いかに大画面テレビやプロジェクターで観ようが、いかに音響に工夫をこらそうが、何かが違うのである。

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※1 4月7日(土曜日)から一ヶ月ほど行われたロードショーだったが、個人的な印象としてはなんとなく盛り上がりに欠けていて、2001年フリークとしては少々拍子抜けの感があった(マスメディアで余り大きく取り上げなかったのはなぜだろう)。銀座テアトルシネマ(5F、2001年を上映する劇場は700席の3F)の入っているビルの入り口には、「2001年宇宙の旅」の(奥行きのある引き込まれそうな)看板が掲げられていたが、その下を行き交う人々の反応もいまいちのようで、つい、「劇場で観る2001年宇宙の旅(今回はスコープ・サイズ)とビデオのそれとは印象がまるで違うんだよ」と教えてあげたい気分にかられてしまったものだ。

※2 再上映はテアトル系劇場で行われたが、筆者の頭の中には「2001年宇宙の旅=テアトル東京」という図式が出来上がってしまっており、迷うことなく旧テアトル東京の跡地に位置する銀座テアトルシネマ(ル テアトル銀座)で鑑賞した。

※3 テアトル東京は1968年(昭和43年)4月に2001年宇宙の旅の初上映も行った。シネラマ方式の大画面は大迫力で筆者の大好きな映画館だったが、いつのまにか潰れてしまった。なお、今回、銀座テアトルシネマ(ル テアトル銀座)などで上映される「2001年宇宙の旅」は残念ながら70mmのシネラマ方式ではなく、35mmを70mmに拡大したスコープ・サイズ(70mm再現比率)のスクリーンに、デジタル・リミックス・サウンドを組み合わせた「新世紀特別版」だそうだ。どうしても70mmにこだわるならアメリカにでも行くしかないのだから、過去に、日本で、70mmシネラマの「2001年宇宙の旅」を観ることができた方は幸運だったといえる。

※! 1978年(昭和53年)の再上映時に、テアトル東京のロビーに展示されていたディスカバリー号の精巧な模型(小川正晴氏作)は今回も展示されていた。

※! フロイド博士を演じたウィリアム・シルベスターにはこの作品の中でしかお目にかかれなくなってしまった(1995年に72才で死去)。アビイ氏と会った時に、「フロイド博士(ウィリアム・シルベスター)やボーマン船長(キア・デュリア)、そしてあのムーンウォッチャー(人猿)も日本によべたらなぁ」という話をしていたのだが。

urnball 銀座テアトルシネマ(ル テアトル銀座)における「2001年宇宙の旅」鑑賞リポート

4月8日。9:00に待ち合わせ(劇場内には9:30分から入場できる)のはずのアビイ氏が見当たらないので電話で呼び出すと、時間を勘違いしてまだ自宅にいるとのこと。しかたなしに、筆者と高校生の甥とその友人の3人で喫茶店で雑談しながら暇をつぶすことにする。10:00少し前、「2001年宇宙の旅」の看板の下でアビイ氏を発見し軽い会話を交わしながら4人で3Fの劇場に向かった。テアトル東京で上映された当時はかなりの行列が出来ていた記憶があるが、今回は行列どころか人影もまばらで寂しい限りだ。入場して、まずはパンフレット(1,000円)を4冊購入したが、これがなかなか良く出来ていて、映画のあらすじはもちろんのこと、撮影秘話が盛りだくさんで結構読みごたえがあった。パンフレットが並んでいるショーケースの中にはグッズ類も「買ってください」といわんばかりに多数置かれていたが、筆者が特に注目したのは、昔のテアトル東京で売られていた例の見慣れたパンフレットだ。なんと、プレミアが付いて4,000円の値札がついているではないか(「シネラマ」の文字が目にしみる)。既に2冊所有しているので購入することはなかったが、それにしてもテアトル東京がなつかしい。なお、安めのグッズ類の下には、アーサー・C・クラークが自身の髪の毛(DNA)を提供して話題を呼んだエンカウンター2001計画(Encounter Deep Space Probe)に参加するためのキット(Team Encounter Kit)も売られていた。自分の髪の毛(DNA)を送るためには7,500円のオフィーサーキットを購入する必要があるようだ。アビイ氏は先着10名の「あるもの」が欲しかったようだが結局購入せずに「さあ、映画、映画」ということになった。ディスカバリー号の精巧な模型(小川正晴氏作)については後述することにする。

肝心の映画だが、結論を先に言ってしまうと、「やはり70mmのシネラマで観たかった」 という その一言に尽きる。もちろん、ボケボケという感じではなかったが、細部に目をこらすと「スコープ・サイズ版」であることが実感できるのだ。もっとも、TVでしか2001年を観たことのない方にとっては、それでも迫力十分だったのかもしれない。筆者にしても、劇場で観るのは久しぶりなのでそれほどの不満はなかった(TVで2001年を観るとサイズも感動も「テレビ・ドラマ」の枠に収まってしまうので最近はほとんど観ていない)。音響については、「デジタル・リミックス・サウンド」ということでそれなりの効果はあったようだが、場面によっては音響が強調されすぎて妙に耳がいたくなることがあった。

同行したメンバーのおひとりは「上映中にイビキをかいていた」ようだったが(笑)、その彼いわく、「2001年というのは基本的に居眠りする映画だ」そうだ。セリフの少ない映画が眠気を誘うことは確かにあるが、2001年に関してはもちろんジョークだろう。徹夜つづきでろくに寝ていなかったというのが真相のようだ。実は筆者も徹夜あけで当日を迎えたので一瞬コックリやってしまった。また観る機会があるだろうから(あと2〜3回は観にいく予定)、その時は 「35mmの恨みつらみ」 は忘れて、この作品がうったえかけている「主題」をじかに感じ取ってこようと思っている。やはり 2001年は、「でかいスクリーン」 「でかい音」 に囲まれて、「一人で」 じっくり考えながら観る作品なのだ。

まあ、今回の「35mm」に関しては(特に70mmシネラマを体験している世代から)、「日本はなめられている(外国では70mm版を上映)」とか「日本は2001年に関して消極的すぎる」あるいは「とにかく日本は宣伝が下手」などの批判が多く聞かれるが、本来なら大々的に宣伝すべき立場のマスメディア等が、既に、この作品を評価する感性を失ってしまったといえはしないか。長く記憶に残る考えさせてくれる作品よりも、その場限りの派手な作品がまかり通る時代であることも確かなのだ。「いずれまた日本でも70mm版が再上映される」との未確認情報(噂)もあるようなので、70mmにこだわる方はそうなることを期待するしかないだろう(あるいは、上述のように外国に行って70mmをしかと観てくるなど)。

最後に、あの懐かしいディスカバリー号の精巧な模型(小川正晴氏作)について言及しておこう。テアトル東京で見た当時より更に大きく更に素晴らしく見えてとても感動した。細部まで再現された彼の「作品」は日本の誇りといえるだろう。

urnball プール飛行士役のゲイリー・ロックウッドが緊急来日

「2001年宇宙の旅」でプール飛行士を演じた俳優のゲイリー・ロックウッドが2001年1月に緊急来日した。プール飛行士は、あの有名なコンピュータHALに最初に殺害されてしまった飛行士だが、死体となって木星(小説では土星)に一番乗りする場面は哀れでとても悲しい。ボーマン船長よりもいくらか人間味の感じられる、少々おっとりした役柄の彼の表情を筆者は忘れることが出来ない。実際の彼も人柄の良さがにじみ出ていて、プール飛行士役という肩書き抜きでもとても魅力的な人物だった。

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※ ゲイリー・ロックウッド氏は予定されていたイベントを無事に終え、1月9日に帰国されました。アビイ氏によると、ボーマン船長役のキア・デュリア氏は現在ニューヨークにおられるようだ。

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