__ | Robert H. Goddard |
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ロバート・ハッチンス・ゴダード博士 (Robert Hutchings Goddard)、1882年10月5日にマサチューセッツ州ウースターに生まれる。アメリカのロケット開発のパイオニアである。 今でこそ、ゴダード宇宙飛行センター (GSFC/NASA Goddard Space Flight Center) 等に彼の名を見いだせるが、しかし、彼の評価は その実績に見合うものではなかった。 その生きざまも フォン・ブラウン とは全く対照的である。 高校時代の彼は、H・G・ウエルズ や ジュール・ベルヌ の小説を愛読する一方で、科学論文を投稿する等、早くもその方面の才能を発揮していたようだ。 第一次世界大戦中は軍において火薬ロケットの実験を行なったりもしたが、ウースターのクラーク大学に入学して後に同大学の物理学教師となる頃からは、液体ロケットシステムやその燃料 (液体酸素と液体水素) に執着しだし、ついには、燃焼室やノズルに関する特許を取得してしまう、、、と、ここまでは順風満帆のようであった。 その後、彼は壁にぶちあたる。人づきあいを敬遠する性格は孤独を招いた。 「超高空に到達する方法」(A Method of Reaching Extreme Altitudes.) という論文では妄想家のレッテルも貼られた。そしてなにより実験資金が不足していた。 スミソニアン協会 (Smithsonian Institution) から相応の援助を受けてはいたのだが、とても充分とはいえなかったからである。 1926年3月16日、そんな研究生活が実を結ぶことになる。とうとう液体ロケットが飛行したのである (世界初)。推進剤は液体酸素とガソリンであった。 その後彼は、実験場をニューメキシコ州のロズウェル (Roswell...UFO問題でお馴染み) 付近の砂漠に移し自動誘導装置 (ジャイロ) の研究にも着手する。 ドイツでは V-2号 (A-4) の開発が進んでいた時期である。 時同じくして、ロケット・エンジニアの両巨人が同内容の研究に携わっていたという事実は興味深い。 1945年8月10日、ゴダード死す。 |