__ Zond Program,prologue,CCCP

__

本文中のリンクを同じウィンドウに開く (現) 本文中のリンクを新しいウィンドウに開く (切り替え)

Sorry, this page is japanese only.

旧ソビエト (CCCP) のゾンド計画は、1964年から1979年にかけて行われたプログラムであるが、 「月探査」 として一般に知られているミッションは3号〜8号である(1号は金星を目指し2号は火星を目指している)。

それでは、ゾンド3号〜ゾンド8号はどのようなミッションだったのかというと、それらは 「無人」 を装ってはいたが常に 「有人」 を目論んでいたのである。ゾンド・スペースクラフトについていえば、(ソビエト版の)アポロ有人宇宙船になり損ねた宇宙船ともいえる。

ルナ計画(旧ソビエト)ルナ・オービター計画(米国)と同格とすれば、ゾンド計画は、やはりアポロ計画だろうか。 ゾンド計画としての有人月周回飛行(あるいは有人月着陸)は実現されなかったが、ゾンド5号などは 「地球生物(亀、昆虫、植物、バクテリアなど)」の月周回飛行を早々と成功させて米国の度肝を抜いた。打ち上げロケット(Launch Vehicle)さえ揃えばすぐにでも有人月周回飛行→有人月面着陸をやってのけてしまいそうな、なにやら得体のしれない底力を米国は感じ取ったのだろうか、アポロ計画(アポロ8号)のミッションを急遽変更してしまうのである。

事実、N-1 ロケットなどという 「自信過剰(N-1はロケット版バベルの塔である...)の産物たる」 ムーンロケットに執着しないで プロトン・ロケット一つに絞っていれば、アポロ計画と同等以上のプログラムが遂行されていったに違いない。ウラジミール・チェロメイ と セルゲイ・コロレフ の二律背反ともとれる対立こそがムーンロケットの夢を打ち砕いたといえる。


1960年代〜1970年代にかけて妙な噂話が蔓延していたことがある。「ソビエトは既に月をターゲットとした有人飛行を行なった」 「しかしその宇宙船は地球に帰還できないまま死体となったクルーと共に月を周回している」 等々。N-1ロケットやプロトン・ロケットの当時の開発状況からみて無理な話ではあるが、これはつまり、ゾンド計画に尾ヒレが付いたもの、あるいは 旧ソビエトの秘密主義が招いた西側の妄想と見るのが常識的だろう。 しかし筆者などは、いまだに これら噂話を一笑に付することが出来ないでいる。



End of Zond program prologue

__ Reference
National Aeronautics and Space Administration (NASA)
Kennedy Space Center (KSC)
Jet Propulsion Laboratory (JPL)
Goddard Space Flight Center (GSFC)
Johnson Space Center JSC Home Page (JSC)
National Space Science Data Center (NSSDC)
American Astronomical Society (AAS)
CHECKOUT and LAUNCH CONTROL SYSTEM PROJECT (CLCS)
Russian Rockets (1)-(9) ←Masaaki Umehara's Report

_ Writer
masaakix yokohama japan
E-Mail
admin masaakix
Web site
http://www.masaakix.interlink.or.jp/

Banner here

著作権について