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第二次世界大戦下、ドイツ陸軍兵器局液体ロケット研究班のワルター・ドルンベルガーらが中心となって開発したロケット爆弾。開発グループには ウェルナー・フォン・ブラウン (Wernher Von Braun) もいた。 V-2号の「V」は報復兵器 Vergel Tungs waffe の頭文字で、当初 A-4 (Aggregate-4) と呼ばれていたものを後に命名し直したものである。 全長約 46フィート (14m)、重量12.8トンで、27トンの推力を出した。燃料はアルコールで、酸化剤には液体酸素を使用していた。最大速度 1.6キロ/秒。これで、1トンの爆弾を積載してドーバー海峡を飛び越えた。最高高度は約80km。その射程距離 (航続距離) は240 〜 305km であり、ジャイロによる機上誘導で、発射後数分 (5分?) でロンドンを空襲した。発射したのは 約 1200個 (発) だが、実際にロンドンを空襲できたのはそれらの6割程度のようだ。 第二次世界大戦後、ソビエト軍やアメリカ軍 (連合軍) は V-2号に大変な興味を示し、ついには V-2号と共に開発者たちを自国に連れ帰った。その後の兵器開発や宇宙開発の中心に彼らがいたことは言を待たない。 ソビエトは、V-2号ベース の R-1ロケット を1948年に初めて打ち上げた後、スケールアップや改良を重ねて R-5 に行き着き、ついに 初の ICBM R-7/SS-6 を開発した。 一方、アメリカ合衆国は、持ち帰ったV-2号を ニューメキシコ州ホワイトサンズ (ミサイル) 実験場 に移し新たなミサイル開発プロジェクトをスタートさせる。もちろん開発チームの中心にはフォン・ブラウンがいたが、ICBMの開発についてはソビエトの後塵を拝した。 ところで、ドイツがV-2号を開発していた第二次世界大戦下、アメリカでも それと同内容の研究・実験が行われていたという事実がある。ロバート・ハッチンス・ゴダード (Robert Hutchings Goddard) 率いるグループがニューメキシコ州のロズウェル (Roswell...UFO問題でお馴染みの場所) 付近の砂漠で行なっていたこの実験は、規模こそ違えど、内容的には明らかに肩を並べるものだった。 |