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第一段に相当する A-10 は全長約20m、直径約4mで、重量は約69トン。シングル・ロケット・エンジン(単燃焼室)のみで離陸時に約235トンの強大な推力をたたき出す。一方の第二段に相当する A-9(A-4b) の全長は約14m、重量約16トン、そして推力は約29トン。なお、直径は約1.7mだがアングル約45度で翼が付属する。 ----- |
R-1/SS-1A Scunner(SRBM) 〜 R-7/SS-6/Sapwood(ICBM)
米ソ冷戦の当然の成り行きなのか、V-2号 は弾道ミサイルとしての再デビューを運命づけられていた。 そして R-1 は、数年かかって R-7/SS-6/Sapwood へとスケールアップしていく。 これはすなわち、近距離弾道弾(SRBM/short-range ballistic missile/射程距離1000km未満) → 中距離弾道弾(IRBM/intermediate range ballistic missile/射程距離1000km〜5500km) → 大陸間弾道弾(ICBM/intercontinental ballistic missile/射程距離5000km〜) と辿った大型ロケット(ミサイル)進化の道筋であり、同時に、国家の威信をかけた宇宙開発競争の序章でもあったのだ。 ----- |
ICBM, R-7(8K71 or 8K74)/SS-6/Sapwood
R-7/SS-6/Sapwood には合計32個のエンジンが備わっているが、そのうちの12個のエンジン(コアのロケットに 4個、外周のブースターに 2個ずつ計8個) は軌道修正/姿勢制御用のバーニア・エンジン(vernier engine)で、残りの20個のエンジンが推力に関係してくる。 RD-107ブースター(4 engines = Thrust:約99トン) x4、RD-108ロケット(4 engines = Thrust:約93トン)x1 である。
R-7/SS-6/Sapwood は、その後も改良を重ねながら 1968年の完全撤収まで ICBM として現役を通すが、液体ロケットの ICBM は次第に時代遅れとなり、ミニットマン(Minuteman/米国のICBM) のような多段式個体ロケットが時代の趨勢を占めるようになっていく。 なお、宇宙開発の Launch Vehicle としても、R-7/SS-6/Sapwood のモディファイ・バージョン(A シリーズ等)が頻繁に使われている。スプートニク計画、ボストーク計画、ボスホード計画、、、ルナ計画、ゾンド計画 (3号)、、、これら軍事色の薄いプログラムで活躍した R-7/SS-6/Sapwood (Family) に限って 「優秀なロケット」 と称賛したい。 ----- |
<Sputnik Program(1号〜2号)> 1957年10月4日、世界初の人工衛星スプートニク1号が バイコヌール宇宙基地 から打ち上げられた。Launch Vehicle は R-7(8k71)/SS-6/Sapwood をモディファイした A-1/SL-1/...Sputnik 8K71 である。 この Launch Vehicle は R-7/SS-6/Sapwood をモディファイした二段式で、一段目(ステージ0)は RD-107ブースター(4 engines = Thrust:約99トン) x4、二段目(ステージ1)は RD-108ロケット(4 engines = Thrust:約93トン) x1 となっている。推進剤には液体酸素(LOX/Liquid Oxygen/酸化剤)とケロシン(Kerosene/燃料)を使用し、離陸時の推力は約396トンだった。 全長約28m、コア部分の直径約3m、重量約268トン。 スプートニク1号スペースクラフトは直径0.6m弱、重量約84kgの球体である。同スペースクラフトは大気圏に再突入するまで21日間にわたって電波を送信しつづけ、地球大気の分析に寄与した。ICBM/大型ロケットの開発に立ち遅れていた米国は、さぞや驚かされたことだろう。 1957年11月3日、早くもスプートニク2号が打ち上げられる。有人飛行の下準備が既にこの頃から始まっていたのは確実で、スペースクラフトの重量は一気に6倍(約500kg)となり、そこには初の動物クルー/ライカ犬まで搭乗していた。この犬は野良犬だったシベリアン・ハスキーで、西側では 「Muttnik (Mutt と Sputnik を合わせた造語?)」という愛称が付けられる。地球上の動物として初めて宇宙飛行(地球周回軌道上の飛行)を行なったことになるが、悲しいことに、回収されぬまま大気圏に再突入して消滅してしまった。それは、回収に失敗したというよりも 回収しなかったというべきものだろう。 スプートニク2号のカプセルは回収を想定していない構造で、生命維持装置も大気圏再突入前に機能を停止したに違いないからだ。 有人飛行のデモンストレーションは、その後も、Korabl-Sputnik という名のもとで継続していくことになる( 〜スプートニク10号)。 ----- |
<Sputnik Program(3号)> 1958年4月27日にバイコヌール宇宙基地からスプートニク3号が打ち上げられた。Launch Vehicle は R-7/SS-6/Sapwood をモディファイした二段式(「一段半式」)のロケットで、一段目(ステージ0)には RD-107ブースター(4 engines = Thrust:約99トン) x4、二段目(ステージ1)は RD-108ロケット(4 engines = Thrust:約82トン) x1 となっている。推進剤には液体酸素(LOX/Liquid Oxygen/酸化剤)とケロシン(Kerosene/燃料)を使用し、離陸時に推力約386トンを出す。 全長約28m、コア部分の直径約3m、重量約268トン。 打ち上げ時のスプートニク3号は、全長(Total Length)約31mで、ペイロードが1,327kgだった。3号に至って初めてペイロード(スペースクラフト)の重量が1トンをオーバーしたことになる。この重量はマーキュリー計画(米国初の有人飛行計画)のスペースクラフトと殆ど同じであり、有人飛行がさらに現実味を帯びてきたともいえる。 ----- |
<Sputnik Program(4号〜6号)=Korabl-Sputnik(1号〜3号)>
1960年5月15日の Korabl-Sputnik 1(Sputnik 4) では、ロボット・クルーを含む重量約2.5トンのスペースクラフトが打ち上げられたがロボットの回収には失敗する。 しかし、続く 1960年8月19日の Korabl-Sputnik 2(Sputnik 5) において とうとう二匹の犬を搭乗させるに至り(回収にも成功)、1960年12月1日の Korabl-Sputnik 3(Sputnik 6) でボストーク級のスペースクラフト(重量約4.6トン)が実現された。 ----- |
<Sputnik Program(9号、10号)=Korabl-Sputnik(4号、5号)>
1961年3月9日の Korabl-Sputnik 4(Sputnik 9) と 1961年3月25日の Korabl-Sputnik 5(Sputnik 10) では、いずれもが、ペイロード約4.7トン、犬を搭乗させて回収にも成功している。なお、同年4月12日のボストーク1号(人類初の有人飛行)でも Vostok 8K72K/A-1 が使われることになる。 ----- |
<Luna Program(1号〜14号)>
打ち上げられたルナ(ルニク)1号は、その後 地球の引力圏を離脱して月に向かい、その間に様々な観測やデータ収集を行なってミッションを終えている。なお、ルナ1号のペイロードは約361kgだった。 ----- |
<Vostok Program(1号〜6号)>
ボストーク1号のペイロードは約4.7トンだった。なお、スペースクラフトは直径約2.3mの球形状カプセルと機械船からなっている。 1号の成功後もボストーク計画は順調にプログラムを消化していく。Vostok 8K72K による打ち上げに信頼性を付加し、実際の宇宙空間で高度な飛行技術を習得するとともに、その飛行時間記録(宇宙滞在期間記録)をも更新していった(5号が最長)。そして、なぜに 「私はカモメ」 なのか当時の筆者は理解できなかったが、女性(テレシコワ)が宇宙進出を果たしたプログラムとしても印象深い(ボストーク6号、1963年6月16日)。もっとも、「次期プログラムの問題」もあってか、旧ソ連側としては喜んでばかりもいられなかったはずで、米国がアポロ計画を引っ提げて猛追を始めたことと相まって、追われる者の 「あせり」 のようなものが芽生え始めていた時期ともいえる。 ----- |
<Voskhod Program(1号、2号)>
ボスホード1号は1964年10月12日に打ち上げられた。使用された Launch Vehicle は、R-7/SS-6/Sapwood をモディファイした三段式のロケット Voskhod 11A57 で、そのステージ構成は、一段目(ステージ0)は RD-107ブースター(4 engines = Thrust:約102トン) x4、二段目(ステージ1)は RD-108ロケット(4 engines = Thrust:約96トン) x1、三段目(ステージ2/Voskhod upper stage)は RD-212(?)ロケット(1 engine = Thrust:約30トン) x1 となっていた。推進剤には全ステージとも液体酸素(LOX/Liquid Oxygen/酸化剤)とケロシン(Kerosene/燃料)を使用し、離陸時に推力約408トンを出す。全長約31m、コア部分の直径約3m、重量は約298トン。なお、ペイロード(スペースクラフトなどの重量)は約5.3トンである。三段目とスペースクラフトが大幅にスケールアップ/パワーアップされているのがよくわかる。 このプログラムは、1964年10月12日のボスホード1号で三人のクルーによる宇宙飛行に成功し、続く 1965年3月18日のボスホード2号でも人類初の宇宙遊泳(EVA)を成し遂げている。 ----- |
<Soyuz Program>
Soyuz 11A511 は R-7/SS-6/Sapwood をモディファイした三段式のロケットで、一段目(ステージ0)は RD-107ブースター(4 engines = Thrust:約101トン) x4、二段目(ステージ1)は RD-108ロケット(4 engines = Thrust:約100トン) x1、そして三段目(ステージ2/Soyuz upper stage)は RD-0110ロケット(1 engine = Thrust:約30トン) x1 となっている。推進剤は全ステージとも液体酸素(LOX/Liquid Oxygen/酸化剤)とケロシン(Kerosene/燃料)を使用している。全長約45m(U)〜50m以上(U2)、重量約310トン。ペイロード(スペースクラフトなどの重量)はソユーズ1号当時で約6.5トンである。 ソユーズ1号は悲惨なミッションとなってしまった。帰還時に パラシュートの不具合で地面に激突し、モジュールはクラッシュ/炎上。 このアクシデントでクルーのコマロフ(Vladimir Mikhailovich Komarov)が殉職した。 ----- |
一段目は RD-253 engine(Thrust:約167トン) x6 = Thrust:約1068トン、二段目は RD-0210 engine(Thrust:約59トン) x4 = Thrust:約245トン。一段目の推進剤には Nitrogen/tetroxide を使用し、離陸時に推力約902トンを出した。全長約39m、直径が約4.2m、重量は約595トン。なお、ペイロードは約8.5トンである。 ------ |
Proton K/(D-1)/8K82K/SL-13/UR-500K
このロケットは、主にミール(Mir/宇宙ステーション)関連ミッションの Launch Vehilce として使われた。 ----- |
<Luna Program(15〜23号), Zond Program(4〜8号)>
このロケットは、無人月探査計画の ルナ計画(15号〜23号)や ゾンド計画(4号、5号、6号、7号、8号)、あるいは静止衛星打ち上げなどに使われた(ペイロードは5トン程度のものが多かった)。なお、ソンド計画 においては、プロトン・ロケット及びゾンド宇宙船の信頼性がネックとなって有人の月周回飛行が中止されている。有人月面着陸を目指していたセルゲイ・コロレフ開発の N-1 ロケット にしても同様のことがいえるが、これら月をターゲットとするロケットの開発が立ち遅れた原因は、「分散されてしまった開発力」 とみるのが妥当なようだ。技術的な問題はもちろんあっただろうが、旧ソ連の本来の開発力が それほどまでに米国に劣っていたとは思えないからだ。彼ら二人(ウラジミール・チェロメイ、セルゲイ・コロレフ) の才能が融合していたらアポロ計画と同等のミッションが遂行されていったに違いない。 ----- |
Proton M ,Block D/8K82K/11S824M/SL-12/UR-500K
このロケットは、無人月探査計画の ルナ計画(24号)、 金星探査計画(Venera 11〜)などで使われた。ペイロードは4トン〜5トン強のものが多かった。 ----- |
ステージ構成をみてみると(1969年2月21日打ち上げ時)、一段目(Block A)が NK-15 engine(Thrust:約171トン) x30 = Thrust:約5130トン、二段目(Block B)は NK-15V engine(Thrust:約179トン) x8 = Thrust:約1432トン、三段目(Block V)が 11D54 engine(Thrust:約164トン) x4、四段目(Block G)は NK-19 engine(Thrust:約4.5トン) x1、そして五段目(Block D)は RD-58 engine(Thrust:約8.5トン) x1 となっている。推進剤は、全段とも液体酸素 LOX/Liquid Oxygen)とケロシン(Kerosene) を使用し、離陸時の推力は約4400トンである。全長約105mで、直径は約17m、重量が約2735トン。なお、ペイロードは約70トンである。 これだけの数のエンジンを制御するのは無理だろう。特に第一段目の「30」は尋常ではなく、打ち上げの失敗が初期のステージに集中しているのも当然である。N-1はロケット版バベルの塔といえる。 旧ソ連(CCCP) の有人月面着陸計画については西側でも様々な「憶測」が飛び交っていたが、実際のところは技術的にも体制的にもアンバランスで、アポロ8号(有人月周回飛行)に先を越された「あせり」と、妙な「覇権争い」のみが際立っていたようである。 それにしても米国は良きロケットを得たものだ。もしもサターン・ロケット(I /IB/V)の開発に失敗していたら、おそらく、有人月周回飛行(アポロ8号)、有人月面着陸(アポロ11号以降)はなかっただろう。 ----- ※ 上述のように N-1 ロケットの開発自体は散々なものだったが、一方、有人月着陸の「実地訓練」は、シミュレーションを含めかなりのレベルにまで達しつつあったようだ。ちなみに、人類で初めて月面に第一歩をしるすはずだったコスモノートの名はアレクセイエフ・レオノフ(Alexei A. Leonov)である。 |
End of Russian Rockets Launch Vehicles